「ステータス」を求める人

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こんばんは〜。

最近ようやく時間ができました。よかったです。

記事の構成を練るのって結構大変で、すぐ挫折しちゃいます。

今日もやはり挫折したので(笑)、綺麗にまとまってはいないのですが、思ったことを書きたいと思います。

求めるもの

たとえば、ペットを飼っている方の中には、虐待やそれに近いことをする人が(残念ながら)います。

あるいは、猫を家で何十匹も飼っており、不衛生な環境になっていたり。

時折ニュースで聞きますよね。

でも、普通の(この言葉が正しいのかはわかりませんが)人であれば、こう思うはずです。

「ペットのことが好きなら、そもそも虐待なんてしないでしょ。」

私もそう思います。だって、愛しのペットを嫌な目に遭わせたくはないですよね。

ペットを愛していれば、虐待はしない。

とりあえず、これを正しいと仮定しましょう。

すると、「虐待する人は、ペットを愛していない」ということになります。

とすると、「なぜそのような人たちはペットを飼うのか?」という疑問が浮かび上がります。

愛していないのに、なぜペットを飼うのか。

現実的な問題として、ペットを飼い始めたあとに生活が急変して、十分にペットと触れ合っていられない状態になることはありえます。

ただ、ここではその例も除外しましょう。

「ペットを飼っている自分」

注意しなければならないのが、ペットを飼う動機が必ずしも

  • ペットと触れ合いたい、一緒に生活したい(=普通の意味での「ペットが欲しい」)

という点にあるとは限らないということです。

すなわち、

  • 「ペットを飼っている自分」が欲しい

という動機もありうるのです。

「ペットを飼っている自分」が欲しいというのは、「ステータスとしてペットを飼いたい」ということです。

一番求めているのはステータスであって、ペット自体にはない。

ここに注意しましょう。

もちろん、ペットのことを多少は可愛がるわけですが、第一の目的ではないわけです。

極端な例でいうと、SNSに写真をアップロードしたい、みたいな考えのことです。

周囲の人に示せば、自分の生活が華やかに見えることでしょう。

「いいね」もつきますしね(笑)

その充実感を味わうべく、ペットを飼うわけです。

でも、その場合ある程度用が済んでしまうと、ペットは「不要な存在」になります。

その結果、最悪の場合捨てられてしまうわけですね。

ここまで酷くはなくても

今までの内容をまとめると、

「Aを手に入れる」というのと「Aを手に入れた自分」を手に入れるのは別物

ということになります。

ペットを捨てる、とまではいかずとも、これと似た考え方をする人々は一定数います。

というか、私もきっとそういう考え方をしています。

たとえば、就職偏差値なんていうのが世の中にあります。

ネットで検索すればたくさん出てきますよ。

就職偏差値に振り回されて、「トップ企業」を受けまくる人なんかが代表例です。

そういった人々は、その企業で働きたいというよりは、「その企業の名刺を持っている自分」を求めているにすぎません。

偏差値主義的な思想が悪い、とまでは言いませんが、貧しい考え方だと私は思います。

(失礼な言い方ではありますが)無名な企業であっても、意欲的に働いている人のほうがカッコイイですよね。

自分が何を求めているのか。

それを冷静に分析することで、「なんだ、ボクが追い求めていたのはしょうもないものだったんだ」と思うことができます。

そうすると、案外気が楽ですよ!

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